2015年3月25日水曜日

「長宗我部 最後の戦い」が講談社から発売されました

 長宗我部盛親を主人公にした小説「長宗我部 最後の戦い」が、講談社から発売されました。
 講談社文庫の3月発行分で、上下巻一斉発売です。作者は小説「長宗我部元親」も書いている近衛龍春さん。この著書の解説を長宗我部友親が書きました。

 いろんな資料を調べて、各地に残されている、伝説などにも耳を傾けて、近衛さんの盛親像を完成させています。

 徳島県の西方に位置する阿南市に残されている盛親の正室についての話も興味を惹かれます。小説では香ノ方です。
 この正室は、盛親捕縛される、の知らせを聞いて、土佐から京の都に向かいます。しかし、阿波に入ったところで、族に襲われます。
 そこで手傷を負い、そのことを一緒にいた犬の「国照号」に、国元に知らせるように頼みます。
 国照は、血塗られた香ノ方の小袖を体に巻いて、土佐に向かって走りますが途中で倒れてしまいます。
 正室も、深手のために亡くなってしまいます。その正室が持っていた鏡などがこの地に残され、後世神社に現在も保管されているそうです。
 そうした話もこの小説には盛り込まれています。

「長宗我部 最後の戦い」は上下巻、それぞれ870円(税別)

http://bookclub.kodansha.co.jp/product
http://bookclub.kodansha.co.jp/product

2015年1月28日水曜日

大坂の陣から400年

大坂の陣から400年を経過したことを記念して、サンケイ新聞社が、2015年1月13日号(夕刊)で、大坂の陣での長宗我部盛親の八尾の戦を1ページにわたって特集しました。その中で長宗我部友親の著書「長宗我部」(文春文庫)も紹介されています。

2014年1月8日水曜日

【レポート】週刊朝日で、徳川氏らとトーク

 週刊朝日で『戦国武将「末裔」座談会』が企画されて、2013年の11月6日に朝日新聞東京本社の読者ホールで、実現しました。

 座談会に出席したのは、徳川家18代当主の徳川恒孝(とくがわ・つねなり)氏、武田家16代当主の武田邦信(たけだ・くにのぶ)氏、真田家14代当主の真田徹(さなだ・とおる)氏、それに私が加わりました。また、4人のトークに、歴史的背景説明などをするために歴史家の小和田哲男氏が参加。司会はNHKの歴史秘話などに登場して、知られる渡辺真理さんでした。

 武田家は織田信長に攻められて、滅亡しましたが、お話しを聞くと、徳川家が血筋をつなぐために「高家」として、ちゃんと庇護してきたそうです。徳川さんは、長宗我部家も武田家のように、高家でもよかったですね、とおっしゃっていました。
 しかし、長宗我部は、大坂の陣で、一度ならず、二度までも歯向かったわけですし、ここで「比護」されてしまったのでは、盛親の意地が無になってしまうと思い、ご遠慮いたすことにいたしました。もっともこれは冗談ですが。そんな感じのお話も、今だから出来たということでしょう。
 座談会は週刊朝日の2013年11月22二日号に掲載されています。
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/weeklyasahi/product/2013111800006.html
 

【告知】長宗我部盛親の慰霊碑を建立

 大阪冬の陣、夏の陣と二度にわたって参戦。徳川家康によって、斬首された長宗我部家二十二代当主である長宗我部盛親の慰霊碑が、没後四百年にあたる2015年の5月に、長宗我部の神社である秦神社(高知市長浜)に建立される。
 先代の当主であった元親が、天下分け目となった関ヶ原の戦いの前年に死去した。
そうしたともあって、盛親は家臣団を統率しきれないまま、関ヶ原に向かわざるを得ず、結局、豊臣方につき、戦には敗れて敗軍の将となった。このため土佐国はめしあげられ、浪々の身となる。
 その後、一矢、家康に報いようと、豊臣方の誘いもあって、大阪の両陣に参加したものの、豊臣秀頼は、自害して果てるという結果となった。盛親は家康方に捉えられて、賀茂の河原で処刑される。世の流れが徳川に総てなびいていく中、家康にあくまでも抵抗、武士の意地を通した格好である。
 それからはや400年の月日が流れる。しかし、元親、それに長兄の信親の墓は土佐にあるものの、盛親の墓はいまだ土佐にはない。
 そこで、この不運の将、盛親の心を鎮めるためにも、慰霊碑を秦神社に立てようとの声があがった。秦神社の宮司もかねている、若宮八幡宮の大久保千尭さんに中心になっていただいて、「長宗我部盛親公慰霊碑建立期成会会」が立ち上がり、高地県内外からも浄財が集まっている。同会事務局連絡先・若宮八幡宮(088・841・2464)。期成会の会長は長宗我部友親です。

下は、盛親公慰霊碑の完成予想図です。
また、記事は高知新聞から。



 
 

2013年12月29日日曜日

【告知】坂本龍馬記念館で講演(2013/5/17)

2014年の5月17日(土曜日)に、高知県立坂本龍馬記念館で講演をさせてもらうことになりました。
 
龍馬記念館が建っている高知市の桂浜は、観光地としても知られていますが、この浦戸というところは、長宗我部氏の21代当主元親、そしてその4男で22代当主となった盛親が居城としていたところでもあります。

浦戸城と呼ばれ、ちょうど龍馬記念館がある辺りが、本丸のあったところで、三層の天守閣がそびえていました。浦戸城は、秀吉の朝鮮役に協力したため港が必要になってきたことなどを考え、元親が築城したもので、海外にも「URADO」として知られていたそうです。

元親は、長宗我部家が聖徳太子のブレーンといわれる秦河勝を先祖としているところから、代々京の都と深い関係を持っていて、学問では徳に後醍醐天皇が大陸から導入した南学を土佐で、研究し広めたといわれています。

その天皇親政を軸とする南学が、山内時代にも谷時中、野中兼山らによって純粋に育てられて、現実の政治と結びつく実践的な学問に形成されてゆきました。そして、幕末に至り、その南学の考え方が、坂本龍馬ら土佐の勤王の志士らによって花開いたのです。

そうした長宗我部と坂本龍馬ら土佐勤王の志士らの関係をテーマに当日はお話したいと思っています。